2010年8月2日月曜日

平成22年西戸田同窓会

        平野橋より西戸田少年保養所を望む、昭和32年


 昭和32年、神戸市立西戸田少年保養所に在籍した、当時小学3年生から中学3年生だった児童を中心に、平成22年6月、同窓会が開催されました。
            第1寮より第2寮を望む
 

 神戸市は、結核児童の療養施設として、神戸市垂水区平野町西戸田272番地にあった、元川崎航空機株式会社の結核療養所を買収し、昭和24年12月に神戸市立西戸田少年保養所を開設しました。昭和25年8月、神戸市立西戸田小学校、同中学校(昭和37年4月神戸市立西戸田養護学校と改称)が併設された事により、結核の治療を受けながら、正規の授業を受け、進級、進学が出来る事となり、長期療養を続ける学童にとって、理想的な施設が誕生しました。その後、結核患者も減少し、結核以外の病気の児童も、この施設で療養生活を送ったようです。しかしながら終に、神戸市立西戸田少年保養所、神戸市立西戸田養護学校は、昭和58年に、閉鎖されました。


              講堂と第3寮
            食堂の屋根越しに本館を望む



 さて、このような神戸市立西戸田少年保養所、神戸市立西戸田小中学校に、昭和32年に在籍した元児童12名、昭和25年、及び30年の在籍者、各1名、さらに、当時お世話になった保母さん2名、計16名が集まり、平成22年6月13日、西戸田同窓会を開催しました。正午に始まった会は、予定時間をオーバーし、午後5時30分に散会となりました。思い出話しが尽きることなく、次回開催を、平成23年2月13日(日)と決定し、再会を約しました。(西戸田同窓会有志代表、三木)。





2010年7月23日金曜日

西戸田の建物

  神戸市立西戸田少年保養所の門を入ると、まず2階建ての本館が目に入ります、診察室、X線 室、事務室、所長室などがありました。本館の南には、神戸市立西戸田小学校、中学校の校舎があり、1階には、職員室と中学生の教室が、2階には小学生の教 室があったように思います。校舎の北側には、ダムと発電所がある箱庭が、また校舎の南側には、鳥小屋がありました。すべての建物は、渡り廊下でつながって おり、校舎の 西側の3寮には、主として退所前の安静度Aの児童が生活していました。3寮の南西側には、三角ベースのソフトボールが出来るぐらいの広場がありました。広場の片隅に、ヤギの親子が暮らしている、小さな小屋もありました。3寮の北側、本館の西側には、講堂があり、朝礼、お誕生 会、映画会など、何かがあると全員が集合しておりました。2階が講堂で、1階は、昭和33年頃より食堂になりました。

  1、2寮の東側には、食堂と風呂場がありました。また、2寮入口に詰め所があり、奥の階段横に投薬室がありました。さらに1段高い北側の土地には、洗濯場と官舎が並んでおりました。また、自動車の車庫が、東の端にありました。

西戸田の一日

 児童の生活は午前7時 の起床に始まる。着替 え、洗面、その他1日の暮らしの準備、朝食。それから第1回の安静時間(重症のCクラスのみ)を終え、午前9時、廊下伝いに登校する。午前中、40分授業 を3回受けるが、その間「処置の時間」があり、治療、投薬が施される。月1回は、体重測定、肺活量の測定、血沈検査が行われ、時には自動車で、他の病院へ 断層撮影、耳鼻科の治療などに出ることもある。12時、昼食。それから午後2時に第4校時が始まるまで、大安静の時間になる。広い保養所がシーンと無気味 なほど静まりかえるのはこの時間で、一般学校なら1日中で最も騒々しい時間のはずである。
 所長回診や、X線写真撮影、検温記録はこの時間に行わ れ、やがて 2時になると、なお1時間の安静の続くCクラスを残して、A、Bクラスが登校する。2時40分、そろって「おやつ」。3時から第5校時。それから5時の夕 食まで、広い庭で遊んだり、入浴したりする。夜は、8時の消灯まで、本を読んだり、手紙を書いたり、テレビを見たりの自由時間を楽しむが、何しろ1年中こ こから一歩も出ない児童達で、遊びの種類は限られているし、しばらくすると飽きがくる。それで保養所や学校で計画する行事には、想像をはるかにこ えた児童 達の期待がかけられる。映画会、お誕生会、描画会、七夕祭、ゴルフ会、盆踊り、ボーリング会、バス遠足、クリスマスパーテイー、節分豆まき、模型飛行機を とばす会、ひなまつり、里の会総会、それに、高校生、大学生、事業団の慰問など。催しの時の食事は行事にちなんだ特別献立がたてられる。(神戸市立西戸田小中学校発行の、「10年のあゆみ」)より。