2020年7月10日金曜日

西村写真館

 昭和26年10月から1年間半、西戸田に在籍されていた西村さんと云われる女性の方よりご連絡があり、大切に保管されておられた写真をご提供いただきました。小学4年生だったとの事で、小学1年生の妹さんも入所されていたそうです。当時は、布団もご自宅から持参して、入所されたそうです。
 送っていただいた写真の中に、昭和37年のものがあるとの事でした。その1枚に、熱田写真館で掲載させて頂いた、昭和37年11月11日に少年保養所で開催された「西戸田里の会」(西戸田在籍者が集う同窓会)当日の写真と非常に良く似ている光景の写真がありました。


  昭和37年11月11日の「西戸田里の会」の日の写真かも知れません。あと2枚の写真も、昭和37年の写真との事。当日のお写真かもしれません。
 
昭和37年 西村さん

 
昭和37年 裏山のため池か

 次は、昭和27年の集合写真です。 前列中央眼鏡に黒い背広の方が、御手洗先生との事です。講堂南側での撮影のようです。
 次は、昭和27年3月20日、小学4年生の時の集合写真との事です。

  最後の1枚は、昭和37年5月27日、神戸小学校の講堂で撮影された「神戸市立少年保養所、西戸田小学校歓送迎会」の写真です。安田先生の送迎会だったとの事です。
  私が在籍していた昭和32年当時の、4年生の担任の高田先生、5年生の担任の山根先生、美術の瀬尾先生、波多野校長のお顔も見え、盛大な歓送迎会だったようです。

 西村さん、貴重なお写真をありがとうございました。


















 

2020年7月8日水曜日

昭和32年 保養所百景 給湯室


 1寮から裏山への出口に、給湯用の蛇口が並んでいる部屋がありました。冬の寒い時期、消灯時間が近づくと、各病棟から「マイ湯たんぽ」を持った子らが集まって来ました。この給湯室には裸電球が一つか二つ、薄暗い部屋でした。

 

 
 木の桶に湯たんぽを斜めに立てて、蛇口から熱いお湯を満たしました。分厚い綿の袋に湯たんぽを入れ、胸に抱きかかえるように、また、来た道を部屋にもどりました。保養所の冬が寒かったと云う記憶はあまりないので、この湯たんぽが役立っていたのでしょうか。


 昭和33、34年に旧1寮が改築された後、この給湯室はどうなったのでしょう。

2020年7月5日日曜日

昭和32年 保養所百景 1寮(2)

 1寮2階には、8人部屋が3室ありましたが、私の部屋は、端の2ベッドが片付けられ6人部屋でした。

 


   
 昭和36年少年保養所発行「十年のあゆみ」生活日課表(簡略化)より

 入所時はCクラスでしたので、毎食後に安静時間がありました。退屈ではありましたが、ベッドの中は居心地も良く、先生方や児童の様子から、保養所内のルールを少しづつ学んでおりました。

2020年7月1日水曜日

昭和32年 保養所百景 1寮(1)

 今日から「昭和32年 保養所百景」と題し、私がお世話になっていた昭和32年を中心に、神戸市立西戸田少年保養所の当時の建物や行事などを紹介して行きたいと思います。先ず第1回目は1寮です。

 昭和32年3月13日、小学4年生の学年末に少年保養所に入所しました。入った病棟は、保養所の一番奥にあった1寮でした。2階の西端、外階段横の部屋でした。ちなみに、1階は女子部屋でした。

 

   


 1寮前にて 昭和33年3月 西戸田小学校5年山根学級
        1寮

  この1寮は、戦前の川崎航空機の結核療養所時代からの建物であり、かなり老朽化が進んでおりました。昭和33年に第1病棟東寮、昭和34年に第1病棟西寮として、2階建ての1寮は東西に分かれて、平屋の病棟として改築されました。