2020年10月15日木曜日

昭和32年 保養所百景 1寮(3)


      消灯後の2寮と175号線

 1寮2階の部屋から、神姫バスが走る国道175号線が見えていました。午後8時の消燈後には、175号線を走る車のライトが部屋の中まで届いており、眠れぬ夜、部屋の天井を照らす車の灯りを見つめていた事があります。 

 



 消灯後もまだ遊び足りない日もありました。廊下や洗面所の灯りをたよりに、悪ガキ仲間が少し夜更かししました。10時頃に、当直の看護婦さんか保母さんの見廻りがあったのですが、さすがに、その後も遊び続けたと云う記憶はありません。

 



2020年10月1日木曜日

昭和32年 保養所百景 車庫


  保養所の東端に車庫がありました。公用車の三菱自動車製ジープが収納されていました。昭和30年前後は、まだ純国産乗用車は数少なく、日野自動車はフランス製のルノーを、いすゞ自動車は英国製のヒルマンを代理製造しておりました。三菱自動車のジープは勿論アメリカ製の4輪駆動車ですが、昭和31年には完全国産化されたとの事で、保養所のジープがどの時期のものだったのか定かではありません。

    三菱自動車ジープ
 

 保養所在籍中に一度だけ、この三菱ジープに乗せてもらった事がありました。5kmほど離れた所にあった神戸市立玉津療養所を受診した時です。現在、玉津療養所は閉院し存在しておりませんが、当時は神戸市の最先端の結核治療病院でした。今で云うCT検査みたいに、結核病巣の部位と大きさが特定できる断層X線撮影検査のために出かけました。おそらく全員の在所児童が、一度は撮影に出かけたと思います。もちろん、単純X線撮影装置は保養所にあり、後藤先生と云う放射線技師さんも一人常勤でおられました。また、結核の外科手術のため玉津療養所に一時転入院された同室の中学生の方がおられた事を思い出します。