保養所の西側に、ため池第一から平野橋に向かって流れる小川がありました。
2011年10月 |
2013年11月 |
2011年10月 |
2012年9月 |
2012年4月 山口さん提供 |
護岸工事がなされ、当時よりも少し深い川になっておりますが、この小川での思い出がある方も沢山おられると思います。
少年保養所の正門が本来の出入り口ですが、ちょっと周辺の地に遊びに出かける時、正々堂々と正門から出て行くと云うことはなかったと思います。しかしながら、こそこそと保養所から抜け出す勝手口は沢山ありました。
① 学校の南の畑の畦道から墓地に入り、西側の農道に出る道。
② 広場の南から降りて、西側の農道に出る道。
③ 1寮から北に出て、西側の稜線づたいに南に下り、農道に出る道。
④ 西側の稜線を北に向かう道。
⑤ ため池の東側を北に向かう道。
⑥ ため池の東側の道をさらに東にまわる道。
⑦ 官舎の東側の林を抜けて、北に向かう道。
など、ざっと七とおりぐらいの経路があったように思います。さらに西側の農道に出てからも、
Ⓐ 平野橋の方角へ、南に向かう。
Ⓑ さらに西側の山に入る。
Ⓒ 北へ、第1から第4のため池に向かう。
など、保養所内だけでは満足できず、これらの勝手口から保養所を抜け出し、国道175号線の西側の地域を駆け回った方も沢山おられる事と思います。
少年保養所発行の「十年のあゆみ」によりますと、昭和25年8月15日の神戸市立西戸田少年保養所開所に先立ち、3月より児童の入所が始まり、学習の場としての「平野学園」が4月に開設されたようです。8月31日に、神戸市立西戸田小学校、西戸田中学校が発足し、初代校長として金沢大助先生が赴任されたとあります。また校舎は、さらに3年後の昭和28年5月に第一期工事、昭和29年5月に第二期工事を終えてやっと完成したようです。昭和37年4月、西戸田小中学校は、神戸市立西戸田養護学校と改称され、さらに約20年後の昭和58年3月、少年保養所の閉鎖にともない西戸田養護学校は閉校となりました。最後の校長先生は清水正夫先生であり、その業務は神戸市立友生養護学校に移管されたようです。
藤原さん提供の写真より |
食堂では、朝、昼、夕の食事だけでなく、2時40分から「おやつ 」の時間がありました。5時限の授業前に「おやつ」を食べるなんて、普通の学校ではあり得ない事でしたが、アルマイトの小さなお皿の上にみかんがひとつと云う日もありました。また、ゼリービンズ(糖衣ゼリー)が数個だけと云う日もありましたが、おやつの時間は楽しみでした。