2021年11月1日月曜日

昭和32年 保養所百景 講堂

 少年保養所の講堂は、少年保養所発行の「十年のあゆみ」によりますと、昭和26年10月8日竣工とあります。2階建で、1階には卓球台を3台ぐらい置けるような大きな部屋がありましたが、昭和33年より食堂として改築されました。2階にあった講堂では、いろいろな学校行事が開催され、皆さんそれぞれに沢山の思い出があると思います。

         昭和33年1月頃 講堂と3寮

 

      昭和38年3月20日 西戸田養護学校第1回卒業式 熱田さん提供

 

        昭和33年1月 1月の誕生会

 

 


 

 

2021年10月1日金曜日

昭和32年 保養所百景 丸池

 

 本館前に噴水の上がる丸い池がありました。何時完成したのかは定かではありませんが、昭和25年の開所すぐに整備されたものと思われます。


      少年保養所「十年のあゆみ」より



      熱田さん提供 昭和37年



      熱田さん提供 昭和37年



        藤原さん提供 昭和40年頃


 この池の周りで遊んだ記憶もありますが、ここで写真を撮られた方も沢山おられる事と思います。




 




2021年9月1日水曜日

昭和32年 保養所百景 本館(2) 


 本館にあった診察室で診察を受けた記憶はありませんが、診察室に入って遊んでいた記憶はあります。婦長さんに膝枕をしてもらって、誰か児童が耳そうじをしてもらっていました。とにかく日当たりのいい、暖かい部屋でした。


      本館 処置室か 10年のあゆみより

 本館の玄関には郵便ポストがあったようです。大事な手紙やはがき、このポストに入れたのでしょう。また、返事の便りが待ちきれず、郵便配達のおじさんが来るのを、この玄関で待っていた方もおられると思います。本館玄関は、少年保養所と外の世界を繋いでくれる大切な場所でした。

 

        本館玄関 郵便ポスト 熱田さん提供 昭和36年


 









 

2021年8月1日日曜日

昭和32年 保養所百景 本館

 

 少年保養所昭和36年発行の「十年のあゆみ」によりますと、昭和25年8月の開所に先立ち、同年5月31日に本館、特別病棟新築竣工とあります。特別病棟と呼ばれている建物は見当たらず、本館の中に「特別病棟」と名付けられた病室があったようですが、詳細は不明です。とにかく、私の昭和32年入所時、本館で療養していた児童はいなかったと思います。本館1階の南側には診察室と処置室、北側には事務室とレントゲン室、そして職員用の浴室があったのを覚えています。2階については、所長室に一度入れてもらった記憶があるだけで、他の2階の構造については全く覚えておりません。


      開所時の本館 十年のあゆみより

 
 保養所発行の「十年のあゆみ」によりますと、所長室、医局、診察室2、検査室、レントゲン室、薬局、病室2、事務室、会議室、図書室、宿直室3、詰所、便所、倉庫などがあったようです。







2021年7月1日木曜日

昭和32年 保養所百景 3寮

 


 3寮は、昭和25年の少年保養所開所から1年後の昭和26年10月に新築された2階建ての病棟でした。私が在籍していた昭和32年当時、1階には男子、2階には女子が生活していました。1階の東側半分は、10人か12人ほどが入る大部屋が一つあり、西側半分は隔離病室になっていたと思うのです。2階には上がった事はありませんが、ほぼ同じ構造だったのではないでしょうか。

      昭和32年 3寮を背に

 昭和33年1月、私は3寮に移動しました。安静度もAクラスになつていたのでしょうか。ただ、Cクラスは1寮、Bクラスは2寮、Aクラスは3寮と云う明確な区分はなかったし、転寮はせず同じ病棟でずっと療養し、退所して行く方もあったと思います。隔離病室と一般の部屋との間には、大きなガラス窓があり、隔離病室側の住人がカーテンをあければ、ガラス越しに話す(?)事ができました。隔離病室での療養生活を経験された方を何人か存じ上げておりますが、ご苦労されたようです。

 

       昭和32年 3寮を背に

      昭和31年 高田学級 3寮を背に (山口さん提供)


 保養所発行の「十年のあゆみ」によりますと、第3病棟には、病室6、詰所2、倉庫、洗面所、便所があったとの事です。





2021年6月15日火曜日

昭和32年 保養所百景 渡り廊下

 2寮から本館、講堂、3寮、学校をつなぐ渡り廊下がありました。 

 食事の時間になると、鐘の音が保養所内に鳴りひびくのですが、小柄な寺内先生(お名前が間違っているかもしれません)が大きな鐘を振りながら、この渡り廊下を3寮に向かって走って行かれる姿を思い出します。

         昭和38年1月 雪の日の渡り廊下 熱田さん提供の写真より


 保養所発行の「十年のあゆみ」によりますと、渡り廊下は昭和26年5月31日竣工とあります。


















2021年6月1日火曜日

昭和32年 保養所百景 2寮投薬室

 2寮1階、階段横に投薬室がありました。食堂での食事が終わると、この部屋に立ち寄ってお薬をもらい、その場で服用していたと思います。結核の治療薬としてパラアミノサリチル酸(通称パス)や、イソニアジド(通称ヒドラとかアイナ)が使われていた時代だったと思います。ストレプトマイシンの注射も使用されていた頃ですが、注射を受けていた児童が居たかどうかは良く分かりません。その後リファンピシンなどが使用されるような時代になると、年単位の治療期間が月単位と非常に短くなりました。



  昭和32年3月 集合写真

 少年保養所に薬剤師さんがおられたと思うのですが、投薬室で内服薬を手渡してもらったのは看護婦さんからだったように思います。集合写真を見てみると、薬剤師さんだったのかなと思われる方が写っておられるのですが、記憶が定かではありません