2022年7月1日金曜日

昭和32年 保養所百景 日時計

  本館北側の広場に立派な日時計がありました。何時ごろ完成したのか詳細を知りません。在籍中、目覚まし時計も腕時計も持たず、部屋の壁にも時計はありませんでしたが、不自由を感じたと云う記憶はありません。毎日、ゆっくりとした時が流れていたように思います。
 
 
 
 
昭和32年

昭和32年
 

昭和36年 十年のあゆみより

昭和36年 熱田さん提供

昭和36年 熱田さん提供

昭和40年頃 藤原さん提供


2022年6月1日水曜日

昭和32年 保養所百景 校舎(3) 箱庭

 


 学校の北側に箱庭が造られておりました。何時頃、何方が造られたのか詳細を存じておりませんが、ダムと発電所のある立派な箱庭でした。

昭和32年

 少しづつ改修されていたのか、昭和32年と昭和40年頃では造形物が異なっております。

昭和42年頃か 藤原さん提供

 






2022年5月1日日曜日

昭和32年 保養所百景 校舎 (2)

 昭和32年私が入所していた頃、小学生の教室は2階で中学生の教室と職員室は1階にあり、階段の下に用務員さんの居室がありました。2階の教室の窓は出窓で少し高い位置にあったので、どのような外の景色が見えていたのかあまり記憶がありません。





          「10年のあゆみ」より

 1階の教室の南側はテラスになっていたように思います。さらに南側は、大した境界物もなく隣家の畑が広がっていたのではなかったでしょうか。


熱田さん提供 昭和37年11月

 
熱田さん提供 昭和36年3月


2022年4月1日金曜日

昭和32年 保養所百景 校舎(1)

 

 少年保養所発行の「十年のあゆみ」によりますと、昭和25年8月15日の神戸市立西戸田少年保養所開所に先立ち、3月より児童の入所が始まり、学習の場としての「平野学園」が4月に開設されたようです。8月31日に、神戸市立西戸田小学校、西戸田中学校が発足し、初代校長として金沢大助先生が赴任されたとあります。また校舎は、さらに3年後の昭和28年5月に第一期工事、昭和29年5月に第二期工事を終えてやっと完成したようです。昭和37年4月、西戸田小中学校は、神戸市立西戸田養護学校と改称され、さらに約20年後の昭和58年3月、少年保養所の閉鎖にともない西戸田養護学校は閉校となりました。最後の校長先生は清水正夫先生であり、その業務は神戸市立友生養護学校に移管されたようです。

 

藤原さん提供の写真より




 

2022年3月1日火曜日

昭和32年 保養所百景 講堂(5)


  講堂の南側はテラスのようになっており、日当たりも良く写真撮影にもってこいの場所でした。昭和32年3月、西戸田小学校4年高田学級の記念撮影がありました。波多野校長も並んでおられますが、私は3月13日の入所であり、わずか1週間だけの高田学級4年生でした。

昭和32年3月 高田学級

昭和27 西村さん提供の写真より


昭和27年頃 辻さん提供の写真より




2022年2月1日火曜日

昭和32年 保養所百景 講堂(4)

 
 少年保養所の中に理髪室はなかったと思います。ただ、講堂1階の北側にあった小部屋で散髪をしてもらった記憶があります。鏡もない小部屋でした。定期的に外部からどなたかが散髪に来て下さっていたのでしょうか。
 


 保母さんに連れられて神姫バスに乗り、4,5名の男子が平野橋まで行き、小さな理髪店で散髪をしてもらった記憶もあります。散髪後、明石川の堤防の上で他の人が終わるのを待ちました。











2022年1月15日土曜日

昭和32年 保養所百景 講堂(3)

  昭和33年1月頃には1寮の東側にあった食堂と風呂場は解体され、第一病棟東寮(昭和33年3月31日竣工)に改築されました。私は正にその時期に少年保養所に在籍していたのですが、従来の食堂の解体後どこで食事をしていたのか全く記憶がありません。その後講堂1階に食堂が移動した訳ですから、講堂1階で食事をしていたのでしょうけれど記憶がありません。                           

 食堂での食事風景(講堂1階)十年の歩みより
 

 食堂では、朝、昼、夕の食事だけでなく、2時40分から「おやつ 」の時間がありました。5時限の授業前に「おやつ」を食べるなんて、普通の学校ではあり得ない事でしたが、アルマイトの小さなお皿の上にみかんがひとつと云う日もありました。また、ゼリービンズ(糖衣ゼリー)が数個だけと云う日もありましたが、おやつの時間は楽しみでした。