神戸市立西戸田少年保養所で療養生活を送り、神戸市立西戸田養護学校でいっしょに学んだ仲間達に、西戸田同窓会(平成22年6月、平成23年2月開催)の存在を知って頂き、一人でも多くの方々に、次回同窓会に参加して頂きたいと云う思いからブログ「西戸田の四季」を書いております。
平野町公園は、平成17年8月に工事が始まり、
平成19年3月に完成(写真①)。
平野町公園の入り口です。少年保養所の玄関も
ここだったのでしょうか(写真②)。
平成23年5月22日、西戸田同窓会世話人の三木さんの呼びかけで、今、少年保養所がどうなっているのか、一度見に行こうと言うことになりました。あいにくの雨模様の中、総勢8名が参加しました。少年保養所の跡地は、現在、野球場、グランドゴルフ場などがある平野町公園として整備されています。とにかく広いグランドになってしまっており、目標になるような建物は何もなく、浦島太郎のように、しばらくの間まわりをぼんやりと眺めておりました。公園の南西角まで来まして、南方向の敷地の外側を見たところ、墓地を発見しました。また、一番北側の敷地から西方向に少し藪の中に入り込みますと、一寮北側にあった、ため池が残っているのが確認出来ました。
昭和32年3月、ため池の前で山本先生と
現在のため池(写真③)
この墓地とため池の位置と現在の平野町公園の地図から、昭和32年頃の建物の配置を考えてみますと、下の図1のようになるのでしょうか。
図1 昭和32年頃の少年保養所の鳥瞰図
公園北側から南方向を望む(写真④)
写真④と同方向の昭和32年頃の眺め
公園南西角より北側を望む(写真⑤)
写真⑤と同方向からの昭和32年頃の眺め
さて、保養所から抜け出して遊んだあの山や川は、今どうなっているのでしょう。そこで、よく歩いた保養所の西側にあった川沿いの小道に行ってみました。その小川に沿った小道を北に向かって歩きました。当時プール池と呼んでいた、本当にプールみたいに長方形のため池は、見当たらず、畑になっていました。
プール池付近の小道(写真⑥)
小道をさらに北上しました。小道が大きく左に曲がり、ため池の堤を登ります。この上に、当時一番大きかった溜め池、通称「第一」があるはずです。
「第一」の堤(写真⑦)
ありました、今も満々と水を湛えた「第一」がありました。感動の一瞬です。
一番大きなため池「第一」(写真⑧)
感動の「第一」との再会の後、帰路につきました。雨もやみ、小川に沿って、三々五々、元きた道を帰りました。
帰り道(写真⑨)
「第一」から始まる小川は、平野橋まで続いており、この小川ではよく遊んだもので、何時まで眺めていても、あきる事はありません。
平野橋に続く小川(写真⑩)
最後に、平野町公園周辺の地図を示します。①から⑩の番号は、写真撮影の場所を示します。また、矢印は撮影の方向です。
この探訪記が、保養所での思い出を少しでも蘇らせる一助になれば幸いです。
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