2寮1階、階段横に投薬室がありました。食堂での食事が終わると、この部屋に立ち寄ってお薬をもらい、その場で服用していたと思います。結核の治療薬としてパラアミノサリチル酸(通称パス)や、イソニアジド(通称ヒドラとかアイナ)が使われていた時代だったと思います。ストレプトマイシンの注射も使用されていた頃ですが、注射を受けていた児童が居たかどうかは良く分かりません。その後リファンピシンなどが使用されるような時代になると、年単位の治療期間が月単位と非常に短くなりました。
昭和32年3月 集合写真
少年保養所に薬剤師さんがおられたと思うのですが、投薬室で内服薬を手渡してもらったのは看護婦さんからだったように思います。集合写真を見てみると、薬剤師さんだったのかなと思われる方が写っておられるのですが、記憶が定かではありません
2 件のコメント:
懐かしい貴重な集合写真を載せて頂いて
ありがとうございます。
昭和32年3月と云うと私も載っている筈だと
探してみました。多分、向かって左端の
先生の隣にいる詰襟の学生服が私ではないかと
思います。
然しながら当時の同級生の友達の顔がどれなのか
さっぱり分かりません。また、先生方や看護婦さん
達も全く区別が付きません。
稲垣さんはこの写真に載っていられるのですか?
参加しております。前から3列目、男子のなかの一番右端におります。稲垣
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