2寮から本館、講堂、3寮、学校をつなぐ渡り廊下がありました。
食事の時間になると、鐘の音が保養所内に鳴りひびくのですが、小柄な寺内先生(お名前が間違っているかもしれません)が大きな鐘を振りながら、この渡り廊下を3寮に向かって走って行かれる姿を思い出します。
保養所発行の「十年のあゆみ」によりますと、渡り廊下は昭和26年5月31日竣工とあります。
懐かしい渡り廊下ですね。保養所全景がこのような配置であった事を思い出しました。私は昭和29年11月頃から昭和32年7月までの小学4年生の秋から中学1年の夏休み前まで療養していました。当時肺浸潤と云われていました。これが本当に肺結核の初期状態だったのか単に言い方を和らげる為だったのかも知れません。それでも比較的症状は軽くて、熱も上がらず咳や血痰も出なかったので、普通の暮らしをしていました。2年半と云う比較的長い保養所生活でしたがCクラスからB,Aクラスと順調にランクが上がって1寮から2寮、3寮へと移って行きました。今思うと病気の事などすっかり忘れていてとても楽しかった時期だったと思います。
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懐かしい渡り廊下ですね。
保養所全景がこのような配置であった事を
思い出しました。
私は昭和29年11月頃から昭和32年7月までの
小学4年生の秋から中学1年の夏休み前まで
療養していました。
当時肺浸潤と云われていました。
これが本当に肺結核の初期状態だったのか
単に言い方を和らげる為だったのかも知れません。
それでも比較的症状は軽くて、熱も上がらず
咳や血痰も出なかったので、普通の暮らしを
していました。
2年半と云う比較的長い保養所生活でしたが
CクラスからB,Aクラスと順調にランクが上がって
1寮から2寮、3寮へと移って行きました。
今思うと病気の事などすっかり忘れていて
とても楽しかった時期だったと思います。
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