2020年9月17日木曜日

昭和32年 保養所百景 風呂場

 

 昭和33年に解体され、講堂の西側に新築されるまで、風呂場は1寮の東端、食堂の北隣りにありました。給湯室を右に入った所です。7、8人の子供がゆったりと利用できる浴室でした。確か、週2回か3回が入浴日で、夕食より前と後で、男女の入浴時間が分かれていたように思います。この風呂場の移転は、食堂の移転工事と平行して行われました。「十年のあゆみ」には、新しい調理室、浴室は、昭和33年5月竣工と記載されております。

 昭和32年4月頃、1寮北側で撮ってもらった写真です。後方、1階の奥に風呂場がありました。

 

建設中の1寮東病棟 昭和33年3月作

 この風呂場と食堂は、昭和33年春に解体され、そこに新しい1寮東病棟が完成したわけです。

 


 講堂西側の建物が、昭和33年に完成した浴室です(藤原さん提供の航空写真より)。

 

 私が退所したのが、昭和33年3月23日でしたが、残念ながら、新浴室には入れませんでした。


 

2020年9月1日火曜日

昭和32年 保養所百景 食堂



 食堂は昭和32年末頃まで1寮と2寮の東側にありましたが、昭和33年に講堂1階へ食堂は移転しました。下の写真の後方右側の建物が最初の食堂です。

永井先生所蔵写真より
     

 内部は、6人がけのテーブルが沢山並び、とても大きな建物でした。さらに東側には調理室が隣接し、カウンターの向こう側には、大きな鍋からあがる湯気や、中で働く調理人の方が見えていました。多くの方が記憶されている「ゆで卵」が、カウンターの上に置かれましたが、この「ゆで卵」のルールが解らない新入所者には、悩ましい光景でした。

 


 

 昭和32年の秋頃から講堂の東側の空き地で、何やら工事が始まり柵が設けられている写真が残っております。

 

 さらに上の写真より少し後に描いた絵によりますと、ブロックが積み上げられ、建物らしきものが出現しております。この工事は講堂1階に食堂を移転するための調理室の工事でありました。「十年のあゆみ」によりますと、この調理室は隣接する新浴室とともに、昭和33年5月20日に竣工したようです。


講堂1階食堂 十年のあゆみより