昭和32年の7月頃私の安静度はBにあがりました。安静度Bは2寮と決まっていたわけではありませんが、2寮に移動しました。2寮は1寮と同様川崎時代からの老朽化した木造2階建で、病室も1寮と同じ構造。各階に8人部屋が3室あり、1階に女子、2階に男子が生活しておりました。1階の東側入口には、1寮にも3寮にもない所内唯一の「詰め所」がありました。2階への階段下に投薬室があり、また2階の東端には寮母さんの部屋がありました。確か永井先生が入っておられたと思います。
昭和32年 1寮から見た2寮
保養所発行の「十年のあゆみ」によりますと、第2病棟には、病室6、婦長室、詰所、面会室、与薬室、倉庫、洗面所、便所があったようです。
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