2017年7月1日土曜日

2017年7・8月号

旧友再会
西戸田在籍者の小集会の写真など、ご提供下さい。


お元気です
西戸田在籍者の方、思い出や近況などお知らせ下さい。

 植杉さんより、5月にお便りをいただきましたが、掲載が2ヶ月も遅くなりました。申し訳ありません。


 昭和47年10月~49年3月の中学部卒業まで、少年保養所でお世話になりました保母先生の高見(当時旧姓 高松)先生と30数年ぶりに再会する事ができました。現在、高見先生は、日本画家としてお忙しくご活躍されています。
 県日本画家連盟展の記事が、5月12日神戸新聞に掲載されていましたので、確認しましたところ出品中との事でしたので、私用も兼ねて神戸市中央区の県民会館へ出かけ作品展を観せていただきました。その折、偶然にも会場におられた先生にお会いする事ができたのですが、作品を観てから、今日は、いらっしゃらないなぁと諦めかけて帰ろうと思いつつ受付の方に聞いたところ、ほら、そこにいますよ、と聞き驚いた次第です。保養所時代の事もお話でき、ゆったりとした気持ちで作品展も楽しめました。年に何度か、作品展を開催されていますので、ご鑑賞されてはいかがでしょうか。


 また、4月初めには、一緒に卒業しました、石田君、吉村さん、大山さんとも再会でき(吉村さん、大山さんは卒業以来44年ぶり)、西戸田跡地に出かけ、砂上池から裏山に入り、道なき道を散策(登山・・・)し、何とか無事に跡地に戻る事ができたのですが、探していた貝塚跡は見つける事ができず残念でした。

伝言板
西戸田在籍者の小集会の予定など、お知らせ下さい。



過去の掲載記事より

 少年保養所の中で記念写真を撮る場所として、日時計の前、正門前、本館玄関前などがよく選ばれています。2013年4月、「日時計」と題して紹介しました後にも、日時計前の写真を何枚か提供していただきました。

昭和32年

昭和32年

昭和35年頃 10年のあゆみより

昭和40年頃 藤原さん提供

昭和37年 熱田さん提供

昭和36年 熱田さん提供



2017年5月1日月曜日

2017年5・6月号

旧友再会
西戸田在籍者の小集会の写真など、ご提供下さい。

2010年6月13日、ポートタワーホテル

 もう7年も前のことですが、第1回西戸田同窓会として、神戸市立西戸田少年保養所に、昭和25年、30年、32年に在籍した元児童14 名が、お世話になった増本先生、永井先生を囲んで集まりました。


私も在籍していました
西戸田在籍者の方、思い出や近況などお知らせ下さい。

 西戸田の四季をスタートしたちょうど2010年、「やろうよ!同窓会 絆プロジェクト」と云う、神戸新聞や神戸新聞のホームページに掲載する事が出来るという、同窓会ノートの募集が始まっていました。三木さんから加入の仕方を教えていただき、2010年11月より西戸田同窓会(西戸田少年保養所)を掲載しました。このサイトから、田河さん、田村さん、門脇さん、辻さんなど、沢山の西戸田在籍者の方と連絡がとれるようになりました。しかしながら、2015年6月頃、神戸新聞は何の説明もなく突然、このサイトを消去してしまいました。何か不正なアクセスでもあったのでしょうか。そのため、それまでの掲載内容がすべて失われ、昭和47年、小学生の時在籍していたと云われる星井さん、昭和51年から52年、中学2年生の時在籍していたと云われる吉岡さんとは、その後連絡がとれないままになっております。



伝言板
西戸田在籍者の小集会の予定など、お知らせ下さい。

 少年保養所が昭和36年に発行しました「十年のあゆみ」を複写した印刷物、ご希望の方があれば、無料で送らせていただきます。ご連絡下さい。稲垣まで。





過去の掲載記事より

 西戸田少年保養所跡地は、2007年に平野町公園として整備されました。2011年5月、有志8名が少年保養所跡地を訪れました。その様子を、「保養所探検隊」、「西戸田少年保養所跡地探訪記」として報告しました。
















 保養所南側にあった墓地と、北側の池、西側の畑と小川の他は、跡形もなくなっていました。



情報提供お願いします。
o.shi.i1946@gmail.com 
稲垣王子 まで

2017年4月11日火曜日

2017年3・4月号

 2017年3・4月号より「西戸田の四季」再スタート致します。今後ともよろしくお願い致します。

旧友再会
西戸田在籍者の小集会の写真など、ご提供下さい。

 4月9日、明石公園でのお花見を兼ねた、西戸田小集会の写真が尾崎さんより、メッセージが三木さんより届いております。



 4月9日の日曜日に、昭和30年代に西戸田入所の仲間9人が明石公園で花見会を開催しました。集合場所には このブログの主催者の稲垣君、終わり頃には 明石上の丸にお住まいの佐藤(姉)さんが愛犬サクラと参加してくれました。野球のナインからサッカーのイレブンになり ワイワイガヤガヤと賑やかに過ごしました。
・すっかり元気回復の永井先生は相変わらずお若いし
・今でも現役バリバリで仕事をしている振角君
・岡本で高級店を経営している高橋さん
・管理栄養士で大活躍の黒田さん
・川柳作家?の小高さん
・OB生活を海外旅行、東海道ウォーキングと、ご夫妻で楽しんでおられる山本君
・山歩き博士の尾崎君 、さすがに今は危険な山?は登らないらしい
・同じ山のクラブで登山をエンジョイし、最近、西国巡りを結願をされた佐藤(妹)さん
・朝寝 朝酒で ぐうたら年金族の三木
以上のメンバーでした。

 横浜の息子さん宅へ引っ越しされた増本先生、家で悠々自適の大西君に携帯電話をして、お二人の近況を聞きました。お元気で何よりでした。掲載している氏名の誰かに心あたりのある方は、 ご連絡下さい。懐かしい出会いをお待ちしております。


私も在籍していました
西戸田在籍者の方、思い出や近況などお知らせ下さい。

 「西戸田の四季」を2010年に開始して、一番最初に書き込んで下さったのは、2010年10月、shizuさんと云われる方でした。「私は40年中頃に入所していました。時代が違うせいか、建物が大分違います。私は二号寮に入っていましたが、詰め所と特別室、後は8人部屋が三つのサイズでした。二階はありません。北側の結核病棟も一階しかありませんでした。洗濯場の前に女子寮がありましたが。記憶違いではないと思います。三号寮は使われていませんでしたし、講堂の下は一号寮の食堂でした。」とあります。
  shizuさん、お元気ですか、西戸田の四季まだ続いています。

伝言板
西戸田在籍者の小集会の予定など、お知らせ下さい。




過去の掲載記事より

 2013年4月に掲載しました、「2013年 西戸田の桜」です。山口さんが、西戸田の桜を撮影して下さいました。







2016年12月22日木曜日

昭和42年 西戸田養護学校作文集 (7)

 「西戸田の里」に掲載されています西戸田養護学校作文集の最終回です。藤原さん、貴重な資料ありがとうございました。

 



  左義長        中1  T・H

 わたしたちの西戸田養護学校はこの1月13日に、とんどをした。
 始めに、校長先生の話があった。とんどと言うのは、昔から人々がいろいろな願いをかけて、お習字など燃やしたそうだ。
 そのあと、山と積まれた薪に火がつけられた。火がだんだん大きく、まっかに燃えてきた。そして、学年に一本ずつの竹がわたされた。竹にみんなが、習字をさして燃やした。紙は風にのって舞いあがり、遠くへ飛んで行った。みんなその行方を眼をみはりながら見ているうちに、習字は全部燃えてしまった。
 次に、みんなが待ちかねていた餅焼きだ。わたしは、始めどうして焼くのか分からなかった。あの大きな火の上に大きなあみをのせて焼くのかと思っていると、みんなのすることにびっくりした。
 竹の先に餅をつけて火の中にもっていった。餅をとりだすと、黒くなっていた。餅をさわったら、もうやわらかくなっていた。自分ながらうまく焼けていると思った。口にしてみるとなんだかおいしく感じた。ほかの人も、まっ黒い餅を食べていた。
 火は次第にゆるくなっていった。時間がすぎて先生の終わりの言葉で、寮に帰った。

2016年12月15日木曜日

昭和42年 西戸田養護学校作文集 (6) 

 「西戸田の里」に掲載されています西戸田養護学校作文集の第6回目です。



 小さく見える        小6  F・F

待ちに待った夏休み、保養所では帰宅があった。8月13日から16日までだ。
 13日の朝早くから、みんな帰るしたくをいていた。この日ばかりは、時間のたつのがおそかった。東の空には太陽が昇り、朝食のにおいがしてくるようで、なかなか起床の鐘が鳴らない。ベッドの上で、ぼくは家に帰って、初めに何をしょうかと考えた。そのうちに、ラジオの音が聞こえてきた。朝のラジオの音楽が気持ちよく、いっぱいにひびいている。
 しばらくたって、起床の鐘が聞こえてきた。ぼくは、まっ先にとびおきて服にきがえて、顔を洗った。そして、ベッドにねころんで、本を読んでいたが、時間のたつのがもどかしく、そうしている間に時間はすぎて食事もすんだ。
 ぼくは、ふとんの敷布をはずして、持ち物をまとめて、家に帰るしたくをした。一番はじめにむかえにきたのが中村君とこ。その次にきたのが井上君。その次が岩佐君とこだった。ぼくは、やっと11時ごろに、むかえにきてくれたのでホッとした。姉がきて、部屋を出た。きょうはスタミナがついている。
 ぼくは、バスの中で、家がどんなにかわっているか、いろいろと空想して、楽しみにしていたバスは、ちょっとゆれがはげしかったが、まもなく明石駅についた。それから国鉄で三の宮までいった。
 窓から見る景色もなつかしく、母の勤めている星電社にいった。母といっしょに働いているおばさんが「大きくなって。」と、いわれたので、ぼくはちょっとてれた。それから姉といっしょに三地下で、昼食をたべた。ひさしぶりに外で食べると、いきいきする。すぐバスにのって家まで帰った。
 ぼくは、帰ったとたん、家は小さいなあと思い、家のなかのようすをみまわった。うれしくていいようがない。そして最初に模型をだして修理をしました。姉はホットしたように、扇風機にあたっていました。ぼくの兄は、堺に遊びにいって、家の中は3人きりで、ちょっと淋しかった。
 しばらくテレビを見ていると、いつのまにか姉が夕食のしたくをしていた。夕食の時も、茶わんを見ると、小さく感じたが、食事が大へんうまかった。
 そのうちに、母が会社から帰ってきた。星電社で母にあった時は、うれしさもあったのかあまり感じなかったが、家に帰ってまた母をながめていると、これまた小さく感じ、ぼくの事を心配して下さっているせいかと思い、すまない気持ちでいっぱいになった。

2016年12月1日木曜日

昭和42年 西戸田養護学校作文集 (5)

 「西戸田の里」に掲載されています西戸田養護学校作文集の第5回目です。




あたたかいおかあさん      小5  N・M

 私のおかあさんは、今は病気です。けれどもいつも私をあたたかく見守っていてくれます。
 やさしいお母さん、おこるとちょっぴりこわいけど、とっても、とってもあたたかい感じのするおかあさんです。それは不思議な人だと思います。
 帰宅で家に帰った時も私は一番さきにおかあさんに会いに行きました。すると目を細めて笑いながら「おかえり」とあたかく、やさしく私をむかえてくださいました。私はおかあさんのそばのいすにこしをおろし、保養所での生活のいろいろなことをみんな話しました。話はいろいろとかわっていき、ひさしぶりにたのしい会話でたのしみました。
 私が保養所に帰るときでも、あわてず、やさしく、いろいろのことをいっぱい話したり「また病気がなおったらきっと面会に行くからね」とやさしく言ってくださいました。


 帰宅してからもうだいぶんたった今、いつもおばあちゃんが面会にきてくださいます。そのときもおばあちゃんが「おかあさんは元気になったよ、Mちゃん。」「おかあさんとMちゃんとどっちがはやくなおるだろうね。早くなおってよMちゃん」
 わたしはおばあちゃんから、うれしいことをきくのを何よりたのしみにしています。
 そして私はねがっている。
 おかあさんが1日も早くよくなって面会にきてくださるようにと。消燈の時間がきて夜寝るときも、ふとおもいます。「今頃おかあさん、どうしているだろう。早く元気になってくれるといいのにな。」あのあたたかいおかあさんの手、あの手がもうすぐに私にふれかかってくるようなそんな気持ちです。




2016年11月15日火曜日

昭和42年、西戸田養護学校作文集 (4)

 「西戸田の里」に掲載されています西戸田養護学校作文集の第4回目です。


みかんがり     小4 F・K

 今月の近足は、みかんがりにいった。バスに数分間のって、北古口駅でおりた。駅からあるいていくと、みかん園の入口とかいてあったのですぐわかった。
 みかんがいっぱいなっていた。ぼくたちより少し高い木で、どの木も、どの木もたくさんなっているのをみると、もう、むねがわくわくする。みかん畑を、よこぎって山おくにはいると、山の中はとてもきれいなけしきで西戸田の近足の山とは、ちがっている。
 「ここでしばらくあそんでいなさい。」と、先生がいわれた。山のむこうへいって下を見るとおおきなおかが2つもありその下の方にきれいな池も見え、むこうの山がかすんだように美しく見えます。しんこきゅうをしたり、石をなげたりしていると、「みかんを、とりにいく」と、先生がおっしゃったからみんな、ならんだ。


 青いきんかんが、すずなりになっているさくの中にはいると、もう、どれをとっていいかわからないぐらいに、おおきなみかんがすずなりになっていた。どれも、これも、とてもうれしく、手がふるえるように思えた。まだ一度もみかんがりにいったことがないからだ。1つにぎったときのうれしかったこと。ぼくらは、4つもとった。すると、先生が「先生も、とってきて」と、いわれたので、またとりにいった。あかいのにしようか、大きいのにしようか、とてもまよった。4つもとってきてから先生と、まるくなって食べたので、むねがすうっとしてうれしかった。食べおわると、おなかがいっぱいになった。
 きょうのみかんがりは、まえのえんそくよりとても楽しくよかったと思い、たのしかった1日をおもいおこしていた。