2016年12月22日木曜日

昭和42年 西戸田養護学校作文集 (7)

 「西戸田の里」に掲載されています西戸田養護学校作文集の最終回です。藤原さん、貴重な資料ありがとうございました。

 



  左義長        中1  T・H

 わたしたちの西戸田養護学校はこの1月13日に、とんどをした。
 始めに、校長先生の話があった。とんどと言うのは、昔から人々がいろいろな願いをかけて、お習字など燃やしたそうだ。
 そのあと、山と積まれた薪に火がつけられた。火がだんだん大きく、まっかに燃えてきた。そして、学年に一本ずつの竹がわたされた。竹にみんなが、習字をさして燃やした。紙は風にのって舞いあがり、遠くへ飛んで行った。みんなその行方を眼をみはりながら見ているうちに、習字は全部燃えてしまった。
 次に、みんなが待ちかねていた餅焼きだ。わたしは、始めどうして焼くのか分からなかった。あの大きな火の上に大きなあみをのせて焼くのかと思っていると、みんなのすることにびっくりした。
 竹の先に餅をつけて火の中にもっていった。餅をとりだすと、黒くなっていた。餅をさわったら、もうやわらかくなっていた。自分ながらうまく焼けていると思った。口にしてみるとなんだかおいしく感じた。ほかの人も、まっ黒い餅を食べていた。
 火は次第にゆるくなっていった。時間がすぎて先生の終わりの言葉で、寮に帰った。

2016年12月15日木曜日

昭和42年 西戸田養護学校作文集 (6) 

 「西戸田の里」に掲載されています西戸田養護学校作文集の第6回目です。



 小さく見える        小6  F・F

待ちに待った夏休み、保養所では帰宅があった。8月13日から16日までだ。
 13日の朝早くから、みんな帰るしたくをいていた。この日ばかりは、時間のたつのがおそかった。東の空には太陽が昇り、朝食のにおいがしてくるようで、なかなか起床の鐘が鳴らない。ベッドの上で、ぼくは家に帰って、初めに何をしょうかと考えた。そのうちに、ラジオの音が聞こえてきた。朝のラジオの音楽が気持ちよく、いっぱいにひびいている。
 しばらくたって、起床の鐘が聞こえてきた。ぼくは、まっ先にとびおきて服にきがえて、顔を洗った。そして、ベッドにねころんで、本を読んでいたが、時間のたつのがもどかしく、そうしている間に時間はすぎて食事もすんだ。
 ぼくは、ふとんの敷布をはずして、持ち物をまとめて、家に帰るしたくをした。一番はじめにむかえにきたのが中村君とこ。その次にきたのが井上君。その次が岩佐君とこだった。ぼくは、やっと11時ごろに、むかえにきてくれたのでホッとした。姉がきて、部屋を出た。きょうはスタミナがついている。
 ぼくは、バスの中で、家がどんなにかわっているか、いろいろと空想して、楽しみにしていたバスは、ちょっとゆれがはげしかったが、まもなく明石駅についた。それから国鉄で三の宮までいった。
 窓から見る景色もなつかしく、母の勤めている星電社にいった。母といっしょに働いているおばさんが「大きくなって。」と、いわれたので、ぼくはちょっとてれた。それから姉といっしょに三地下で、昼食をたべた。ひさしぶりに外で食べると、いきいきする。すぐバスにのって家まで帰った。
 ぼくは、帰ったとたん、家は小さいなあと思い、家のなかのようすをみまわった。うれしくていいようがない。そして最初に模型をだして修理をしました。姉はホットしたように、扇風機にあたっていました。ぼくの兄は、堺に遊びにいって、家の中は3人きりで、ちょっと淋しかった。
 しばらくテレビを見ていると、いつのまにか姉が夕食のしたくをしていた。夕食の時も、茶わんを見ると、小さく感じたが、食事が大へんうまかった。
 そのうちに、母が会社から帰ってきた。星電社で母にあった時は、うれしさもあったのかあまり感じなかったが、家に帰ってまた母をながめていると、これまた小さく感じ、ぼくの事を心配して下さっているせいかと思い、すまない気持ちでいっぱいになった。

2016年12月1日木曜日

昭和42年 西戸田養護学校作文集 (5)

 「西戸田の里」に掲載されています西戸田養護学校作文集の第5回目です。




あたたかいおかあさん      小5  N・M

 私のおかあさんは、今は病気です。けれどもいつも私をあたたかく見守っていてくれます。
 やさしいお母さん、おこるとちょっぴりこわいけど、とっても、とってもあたたかい感じのするおかあさんです。それは不思議な人だと思います。
 帰宅で家に帰った時も私は一番さきにおかあさんに会いに行きました。すると目を細めて笑いながら「おかえり」とあたかく、やさしく私をむかえてくださいました。私はおかあさんのそばのいすにこしをおろし、保養所での生活のいろいろなことをみんな話しました。話はいろいろとかわっていき、ひさしぶりにたのしい会話でたのしみました。
 私が保養所に帰るときでも、あわてず、やさしく、いろいろのことをいっぱい話したり「また病気がなおったらきっと面会に行くからね」とやさしく言ってくださいました。


 帰宅してからもうだいぶんたった今、いつもおばあちゃんが面会にきてくださいます。そのときもおばあちゃんが「おかあさんは元気になったよ、Mちゃん。」「おかあさんとMちゃんとどっちがはやくなおるだろうね。早くなおってよMちゃん」
 わたしはおばあちゃんから、うれしいことをきくのを何よりたのしみにしています。
 そして私はねがっている。
 おかあさんが1日も早くよくなって面会にきてくださるようにと。消燈の時間がきて夜寝るときも、ふとおもいます。「今頃おかあさん、どうしているだろう。早く元気になってくれるといいのにな。」あのあたたかいおかあさんの手、あの手がもうすぐに私にふれかかってくるようなそんな気持ちです。




2016年11月15日火曜日

昭和42年、西戸田養護学校作文集 (4)

 「西戸田の里」に掲載されています西戸田養護学校作文集の第4回目です。


みかんがり     小4 F・K

 今月の近足は、みかんがりにいった。バスに数分間のって、北古口駅でおりた。駅からあるいていくと、みかん園の入口とかいてあったのですぐわかった。
 みかんがいっぱいなっていた。ぼくたちより少し高い木で、どの木も、どの木もたくさんなっているのをみると、もう、むねがわくわくする。みかん畑を、よこぎって山おくにはいると、山の中はとてもきれいなけしきで西戸田の近足の山とは、ちがっている。
 「ここでしばらくあそんでいなさい。」と、先生がいわれた。山のむこうへいって下を見るとおおきなおかが2つもありその下の方にきれいな池も見え、むこうの山がかすんだように美しく見えます。しんこきゅうをしたり、石をなげたりしていると、「みかんを、とりにいく」と、先生がおっしゃったからみんな、ならんだ。


 青いきんかんが、すずなりになっているさくの中にはいると、もう、どれをとっていいかわからないぐらいに、おおきなみかんがすずなりになっていた。どれも、これも、とてもうれしく、手がふるえるように思えた。まだ一度もみかんがりにいったことがないからだ。1つにぎったときのうれしかったこと。ぼくらは、4つもとった。すると、先生が「先生も、とってきて」と、いわれたので、またとりにいった。あかいのにしようか、大きいのにしようか、とてもまよった。4つもとってきてから先生と、まるくなって食べたので、むねがすうっとしてうれしかった。食べおわると、おなかがいっぱいになった。
 きょうのみかんがりは、まえのえんそくよりとても楽しくよかったと思い、たのしかった1日をおもいおこしていた。
 

2016年11月1日火曜日

昭和42年、西戸田養護学校作文集 (3)

 「西戸田の里」に掲載されています西戸田養護学校作文集の第3回目です。


 「療養生活6か月」        中2  M・M

 1学期も終わろうとする7月の中頃、私は、少年保養所の門をくぐった。それからは、保養所生活と学校生活に、胸をふくらませて。
 保養所生活第1日目、何が何だかさっぱりわからず、不安のうちに過ごしたことを覚えている。日がたつにつれて、ここの生活がどういうものか、少し分かって来たが、Dクラスだったので、学校には行けなかった。せっかく学校に行けるからと聞いて入所して来たのにとよく思ったものだった。
 夏休みもすぎ、病室に、担当の先生が教えに来て下さるようになった。科目は英語と数学、すこしさびしかったが、今までの遅れをとり戻せるようでうれしかった。
 待ちに待った日が訪れた。「Cクラスですよ。」と言われた時、ほんとうにうれしかった。それと同時にたまらない不安があった。勉強のことがそのひとつ。また食堂に出るのが恥ずかしくていやだなあと思った。
 Cクラスになってから、もう3か月、療養のこともレールにのって、楽しい毎日になって来た。元気に退所して行く級友を見ていると何となくさびしくなり、家に帰れる日を心待ちしている自分に気づくことがある。
 ここ保養所の療養生活なり、学校生活の中から、後に役立つものを学びとり体得して、明日への希望を抱きながら、もう1年間がんばろうと思う。
 

2016年10月15日土曜日

昭和42年、西戸田養護学校作文集 (2)

「西戸田の里」に掲載されています西戸田養護学校作文集の第2回目です。


「あんせい」  小3  E・Y

ぼくは、あんせいのとき
たいくつや。
いつも本を読んでいるんや。
先生の、くつ音がする。
さっと、ふとんの中に
もぐるんや。
でも、先生は知っている。
「これ、E 君。」
こわいかほでにらまれる。
「あんせい、しなさいよ。」
「はい。」
へんじしてからもどきどきする。




「あんせい」   小4   H・H

ぼくは、あんせいがきらいだ。
あんせいしないで、なおったらなあと、
いつでも思う。
あんせい中に、
少しぐらい本をよんでもいいんだったらなあ。
たいくつせずにあんせいできるのになあ。
ぼくは、早く、けっかくがなおって、
家にかえりたい。
やっぱり、あんせいしようか。



2016年10月1日土曜日

昭和42年、西戸田養護学校作文集 (1)

 昭和42年3月、西戸田養護学校発行の『西戸田の里」に掲載されております在校生の作文を数篇、ご紹介させていただきます。この「西戸田の里」は、昨年、藤原さんから提供していただいたものです。


「きたく」    小2  A・H

はやく おうちにかえりたいよ。
おうちへ かえったら
おやつを たべたり
テレビを みたり するよ。
おかあちゃんに どこかに
つれて いって もらうよ。
はやく 8月に なって ほしいよ。
8月は きたくだから うれしいよ。
おねえちゃんと あそべるから うれしいよ。
早く家にかえりたい。


「早く家に帰りたい」   小3  T・R

早く家に帰りたい
でも まだBクラス
いつAにあがるのかなあ
Aから Aaが長いからいやや。

こんどのきたくはお正月
早くこいお正月
でも たい所の方がいい
たい所やったら いつまでも家に おられるし
きたくやったら たったの三日
でも びょう気がなおるまで
たい所できない

日よう日はめんかいにきてくれる
おやつも ふくも しきふくも
とどけてくれる
びょう気がなおるまで しんぼうしょう。
でも やっぱり 早く家にかえりたい。

2016年9月21日水曜日

西戸田養護学校 元3教諭の作品展


 去る8月31日より9月11日まで、三木市において、元神戸市立西戸田養護学校の先生だった3人の方が、陶器と絣の作品展を開催されました。西戸田に在籍されていた越智さんより、9月10日、神戸新聞に掲載された記事をご提供いただきましたので、ご報告いたします。また、この個展の開催については、8月末に、西戸田に在籍されていた藤原さんより、情報を頂いていたのですが、私の怠慢で開催前のお知らせを怠り、お詫びいたします。以下に、新聞記事を掲載いたします。

「手に取ってみてほしい」と話す(左から)
貝森慶子さんと山本力江さん、正美さん

 神戸市西区の西戸田養護学校で40年以上前に勤務していた元同僚の教諭3人が、陶器と絣(かすり)の作品展を三木市与呂木のギャラリー驟(しゅう)で開いている。今年1月に神戸市内で偶然再会し、お互いに創作活動をしていることを知って作品展を企画。手作りのやさしさが伝わる約400点を展示している。11日まで。
 退職後、故郷の鳥取市に工房を構えて創作に励む山本正美さん(69)は、大ぶりの茶わんやビールジョッキなどを出展。「懐かしさやぬくもりを感じて」と話す。妻の力江さん(68)は「自分が着て気持ちいいものを多くの人に知ってほしい」と、藍色が鮮やかな絣の着物や草木染の帯などを展示している。
 貝森慶子さん(63)=神戸市須磨区=は主婦らしく「毎日の食卓が華やかになるものを」と、箸置きや小皿、コーヒーカップなど普段使いの食器を出している。(後藤亮平) 


山本正美
山本力江
貝森慶子 

 越智さんからのメールには、「平井君、藤島君と訪ねました。西戸田の思い出に花を咲かせました。」とあります。





2016年6月1日水曜日

旧友再会 (2)

 昭和32年3月、西戸田小学校高田学級4年生だった11名のうち5名が、平成25年6月の第3回西戸田同窓会で再会できた事を、吉田拓郎の歌「旧友再会フォーエヴァーヤング」にたくして、「旧友再会」と題して掲載させていただいた事がありました。この4月に、沢山の西戸田の写真を提供して頂きました熱田さんから、ご自身の西戸田の仲間の「旧友再会」の写真を送って頂きましたので、ご紹介いたします。

昭和37年4月19日 神戸市立西戸田養護学校 中学3年 女子全員



平成27年5月24日 55年後の乙女達



 昭和37年西戸田養護学校中学3年生の女子9名全員と、さらに 男子3名が集合されたようです。55年を経て笑顔で再会、素晴らしい団結力。西戸田の旧友の一人一人が輝き、お元気そうな乙女達。うらやましいかぎりです。

「ひさしぶり とにかく元気でなによりです。」

2016年4月30日土曜日

熱田写真館 (4)

 熱田写真館の最終回です。昭和36年から昭和38年の少年保養所が撮影されています。少年保養所の鯉のぼりも、雪景色も、いくら見ていても見飽きることがありません。航空写真の撮影が昭和36年との事ですが、その年、私は長田区にあった西代中学の3年生でした。西代中学でも航空写真の撮影があり、ひょっとしたら同じ日だったのかも知れませんね。西代と云う人文字を校庭に描き、飛行機が飛来するのを、今か今かと待っていた日の事を思い出しました。
 熱田さん、貴重な写真を本当にありがとうございました。沢山の西戸田の仲間が、熱田写真館に感動している事と思います。


昭和37年5月5日 美しい日時計とこいのぼり

昭和37年5がつ5日 春の日の美しい日時計

昭和38年1月 西戸田雪景色

昭和38年1月 西戸田の雪ダルマ

昭和36年 西戸田全景





2016年4月28日木曜日

熱田写真館 (3)

 熱田写真館、第3回です。今回は記念写真なのでしょうか、西戸田少年保養所、正門、本館、日時計、丸池などで撮影された写真です。21人の中学3年生の写真は壮観です。


昭和36年5月28日 保養所正門にて

昭和36年5月28日 ポストの前で

昭和36年5月28日 日時計にて

昭和36年3月9日 理科室の前にて

昭和37年5月3日 噴水にて魚を放す

昭和37年4月19日 噴水(丸池)にて 中学3年生



2016年4月25日月曜日

熱田写真館 (2)

 熱田写真館、第2回目です。今回は「西戸田里の会」を撮影した写真です。仮装行列はとても楽しそうで、天気も良く、歓声が聞こえるようです。



昭和36年11月19日 第7回 里の会


昭和37年11月11日 里の会 白雪姫と7人の小人

昭和37年11月11日 里の会 白雪姫と7人の小人


昭和37年11月11日 里の会 


昭和37年11月11日 里の会 ベン・ケーシー


昭和37年11月11日 里の会 桃太郎


昭和37年11月






2016年4月23日土曜日

熱田写真館 (1)

 4月に開催された明石公園お花見の会(プチ西戸田同窓会)に、昭和36年から昭和38年頃、中学生の時、西戸田少年保養所に在籍されていた熱田さんが初参加して下さいました。此の度、その熱田さんより当時の貴重な写真を提供していただきましたので、「熱田写真館」と題して、数回に分けてご紹介させていただきたいと思います。第1回目は、当時保養所で行われていた行事の写真です。どうぞご覧下さい。

昭和37年8月15日 盆踊り


昭和37年2月3日 節分


昭和38年3月20日 西戸田養護学校 第1回卒業式



昭和36年10月17日 ミス垂水を囲んで中学生全員



昭和37年10月23日 ミス垂水と中学生



2016年1月1日金曜日

西戸田の草花 (春)

 新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。 
 草花編も最終回となりました。2012年4月、2013年4月と、2015年6月の写真を集めました。こうして見てみますと、西戸田では四季それぞれに、色々な花が咲いております。ただ以前にも申し上げましたが、西戸田少年保養所に居りました頃は、花には何の興味も示さない、小学5年生でありました。

ナズナ 2012年4月
ホトケノザ 2012年4月

ツルニチニチソウ 2012年4月

セイヨウタンポポ 2012年4月

ニリンソウ 2012年4月

ナノハナ 2012年4月

カラスノエンドウ 2012年4月

ヒメオドリコソウ 2012年4月

オオイヌノフグリ 2012年4月

ヤマブキソウ 2015年6月

西戸田の桜 2013年4月 山口さん撮影