2021年7月1日木曜日

昭和32年 保養所百景 3寮

 


 3寮は、昭和25年の少年保養所開所から1年後の昭和26年10月に新築された2階建ての病棟でした。私が在籍していた昭和32年当時、1階には男子、2階には女子が生活していました。1階の東側半分は、10人か12人ほどが入る大部屋が一つあり、西側半分は隔離病室になっていたと思うのです。2階には上がった事はありませんが、ほぼ同じ構造だったのではないでしょうか。

      昭和32年 3寮を背に

 昭和33年1月、私は3寮に移動しました。安静度もAクラスになつていたのでしょうか。ただ、Cクラスは1寮、Bクラスは2寮、Aクラスは3寮と云う明確な区分はなかったし、転寮はせず同じ病棟でずっと療養し、退所して行く方もあったと思います。隔離病室と一般の部屋との間には、大きなガラス窓があり、隔離病室側の住人がカーテンをあければ、ガラス越しに話す(?)事ができました。隔離病室での療養生活を経験された方を何人か存じ上げておりますが、ご苦労されたようです。

 

       昭和32年 3寮を背に

      昭和31年 高田学級 3寮を背に (山口さん提供)


 保養所発行の「十年のあゆみ」によりますと、第3病棟には、病室6、詰所2、倉庫、洗面所、便所があったとの事です。




 ご連絡は下記まで

  o.shi.i1946@gmail.com   

 〒537−0013 大阪市東成区大今里南3−12−15            稲垣王子