2022年12月1日木曜日

昭和32年 保養所百景 小川

 保養所の西側に、ため池第一から平野橋に向かって流れる小川がありました。



2011年10月

2013年11月


2011年10月

2012年9月

2012年4月 山口さん提供

 

 護岸工事がなされ、当時よりも少し深い川になっておりますが、この小川での思い出がある方も沢山おられると思います。

 

 

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稲垣王子

2022年11月1日火曜日

昭和32年 保養所百景 売店

 
 少年保養所前のバス停に、一軒のお家があり、正式だったのかどうなのかは知りませんが、そこが保養所の売店でした。保養所生活に必要な物品や、朝食で登場するあの「ゆで卵」も、このお店で購入する事ができました。

昭和36年 西戸田全景より 熱田さん提供


昭和45年航空写真より 藤原さん提供
 

 保養所では、果物や菓子類を所持して勝手に食べたりする事は禁止されておりました。この売店には駄菓子も売られており、家族のお見舞いの際、お店で食べたりしている光景も見られました。また、夜、こっそりとお店に行って駄菓子を買って食べた方もおられると思います。


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2022年10月1日土曜日

昭和32年 保養所百景 勝手口

 少年保養所の正門が本来の出入り口ですが、ちょっと周辺の地に遊びに出かける時、正々堂々と正門から出て行くと云うことはなかったと思います。しかしながら、こそこそと保養所から抜け出す勝手口は沢山ありました。

 

① 学校の南の畑の畦道から墓地に入り、西側の農道に出る道。                                                                                                                                                                                                                                                          

②  広場の南から降りて、西側の農道に出る道。

③ 1寮から北に出て、西側の稜線づたいに南に下り、農道に出る道。

④ 西側の稜線を北に向かう道。

⑤ ため池の東側を北に向かう道。

⑥ ため池の東側の道をさらに東にまわる道。

⑦ 官舎の東側の林を抜けて、北に向かう道。

など、ざっと七とおりぐらいの経路があったように思います。さらに西側の農道に出てからも、

Ⓐ 平野橋の方角へ、南に向かう。

Ⓑ さらに西側の山に入る。

Ⓒ 北へ、第1から第4のため池に向かう。

など、保養所内だけでは満足できず、これらの勝手口から保養所を抜け出し、国道175号線の西側の地域を駆け回った方も沢山おられる事と思います。

 


 

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2022年9月1日木曜日

昭和32年 保養所百景 広場


 3寮の西側には、広い空き地と言って良いのでしょうか、広場がありました。きれいに整地されたグランドではありませんが、三角ベースのソフトボールを毎日のようにやった日もありました。バットは、山から切り出した太い竹でした。昭和45年の写真では、校舎が増築され、広場はなくなったようです。


昭和32年


昭和32年



昭和45年航空写真 藤原さん提供

 

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2022年8月1日月曜日

昭和32年 保養所百景 正門


 西戸田少年保養所へは何処からでも入る事が出来ましたが、正面玄関には立派な正門がありました。 ここで記念撮影された方も多いと思うのですが、退所の日は、さすがに皆さん笑顔ですね。

 

昭和32年頃 三木さん提供


昭和32年3月退所の日 山口さん提供


昭和36年 熱田さん提供


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2022年7月1日金曜日

昭和32年 保養所百景 日時計

  本館北側の広場に立派な日時計がありました。何時ごろ完成したのか詳細を知りません。在籍中、目覚まし時計も腕時計も持たず、部屋の壁にも時計はありませんでしたが、不自由を感じたと云う記憶はありません。毎日、ゆっくりとした時が流れていたように思います。
 
 
 
 
昭和32年

昭和32年
 

昭和36年 十年のあゆみより

昭和36年 熱田さん提供

昭和36年 熱田さん提供

昭和40年頃 藤原さん提供

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2022年6月1日水曜日

昭和32年 保養所百景 校舎(3) 箱庭

 


 学校の北側に箱庭が造られておりました。何時頃、何方が造られたのか詳細を存じておりませんが、ダムと発電所のある立派な箱庭でした。

昭和32年

 少しづつ改修されていたのか、昭和32年と昭和40年頃では造形物が異なっております。

昭和42年頃か 藤原さん提供

 




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2022年5月1日日曜日

昭和32年 保養所百景 校舎 (2)

 昭和32年私が入所していた頃、小学生の教室は2階で中学生の教室と職員室は1階にあり、階段の下に用務員さんの居室がありました。2階の教室の窓は出窓で少し高い位置にあったので、どのような外の景色が見えていたのかあまり記憶がありません。





          「10年のあゆみ」より

 1階の教室の南側はテラスになっていたように思います。さらに南側は、大した境界物もなく隣家の畑が広がっていたのではなかったでしょうか。


熱田さん提供 昭和37年11月

 
熱田さん提供 昭和36年3月


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2022年4月1日金曜日

昭和32年 保養所百景 校舎(1)

 

 少年保養所発行の「十年のあゆみ」によりますと、昭和25年8月15日の神戸市立西戸田少年保養所開所に先立ち、3月より児童の入所が始まり、学習の場としての「平野学園」が4月に開設されたようです。8月31日に、神戸市立西戸田小学校、西戸田中学校が発足し、初代校長として金沢大助先生が赴任されたとあります。また校舎は、さらに3年後の昭和28年5月に第一期工事、昭和29年5月に第二期工事を終えてやっと完成したようです。昭和37年4月、西戸田小中学校は、神戸市立西戸田養護学校と改称され、さらに約20年後の昭和58年3月、少年保養所の閉鎖にともない西戸田養護学校は閉校となりました。最後の校長先生は清水正夫先生であり、その業務は神戸市立友生養護学校に移管されたようです。

 

藤原さん提供の写真より




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2022年3月1日火曜日

昭和32年 保養所百景 講堂(5)


  講堂の南側はテラスのようになっており、日当たりも良く写真撮影にもってこいの場所でした。昭和32年3月、西戸田小学校4年高田学級の記念撮影がありました。波多野校長も並んでおられますが、私は3月13日の入所であり、わずか1週間だけの高田学級4年生でした

昭和32年3月 高田学級

昭和27 西村さん提供の写真より


昭和27年頃 辻さん提供の写真より




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2022年2月1日火曜日

昭和32年 保養所百景 講堂(4)

 
 少年保養所の中に理髪室はなかったと思います。ただ、講堂1階の北側にあった小部屋で散髪をしてもらった記憶があります。鏡もない小部屋でした。定期的に外部からどなたかが散髪に来て下さっていたのでしょうか。
 


 保母さんに連れられて神姫バスに乗り、4,5名の男子が平野橋まで行き、小さな理髪店で散髪をしてもらった記憶もあります。散髪後、明石川の堤防の上で他の人が終わるのを待ちました。






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2022年1月15日土曜日

昭和32年 保養所百景 講堂(3)

  昭和33年1月頃には1寮の東側にあった食堂と風呂場は解体され、第一病棟東寮(昭和33年3月31日竣工)に改築されました。私は正にその時期に少年保養所に在籍していたのですが、従来の食堂の解体後どこで食事をしていたのか全く記憶がありません。その後講堂1階に食堂が移動した訳ですから、講堂1階で食事をしていたのでしょうけれど記憶がありません。                           

 食堂での食事風景(講堂1階)十年の歩みより
 

 食堂では、朝、昼、夕の食事だけでなく、2時40分から「おやつ 」の時間がありました。5時限の授業前に「おやつ」を食べるなんて、普通の学校ではあり得ない事でしたが、アルマイトの小さなお皿の上にみかんがひとつと云う日もありました。また、ゼリービンズ(糖衣ゼリー)が数個だけと云う日もありましたが、おやつの時間は楽しみでした。


 


 

 

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