2021年6月15日火曜日

昭和32年 保養所百景 渡り廊下

 2寮から本館、講堂、3寮、学校をつなぐ渡り廊下がありました。 

 食事の時間になると、鐘の音が保養所内に鳴りひびくのですが、小柄な寺内先生(お名前が間違っているかもしれません)が大きな鐘を振りながら、この渡り廊下を3寮に向かって走って行かれる姿を思い出します。

         昭和38年1月 雪の日の渡り廊下 熱田さん提供の写真より


 保養所発行の「十年のあゆみ」によりますと、渡り廊下は昭和26年5月31日竣工とあります。




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 〒537−0013 大阪市東成区大今里南3−12−15            稲垣王子 















2021年6月1日火曜日

昭和32年 保養所百景 2寮投薬室

 2寮1階、階段横に投薬室がありました。食堂での食事が終わると、この部屋に立ち寄ってお薬をもらい、その場で服用していたと思います。結核の治療薬としてパラアミノサリチル酸(通称パス)や、イソニアジド(通称ヒドラとかアイナ)が使われていた時代だったと思います。ストレプトマイシンの注射も使用されていた頃ですが、注射を受けていた児童が居たかどうかは良く分かりません。その後リファンピシンなどが使用されるような時代になると、年単位の治療期間が月単位と非常に短くなりました。



  昭和32年3月 集合写真

 少年保養所に薬剤師さんがおられたと思うのですが、投薬室で内服薬を手渡してもらったのは看護婦さんからだったように思います。集合写真を見てみると、薬剤師さんだったのかなと思われる方が写っておられるのですが、記憶が定かではありません


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