2021年6月15日火曜日

昭和32年 保養所百景 渡り廊下

 2寮から本館、講堂、3寮、学校をつなぐ渡り廊下がありました。 

 食事の時間になると、鐘の音が保養所内に鳴りひびくのですが、小柄な寺内先生(お名前が間違っているかもしれません)が大きな鐘を振りながら、この渡り廊下を3寮に向かって走って行かれる姿を思い出します。

         昭和38年1月 雪の日の渡り廊下 熱田さん提供の写真より


 保養所発行の「十年のあゆみ」によりますと、渡り廊下は昭和26年5月31日竣工とあります。




 ご連絡は下記まで

  o.shi.i1946@gmail.com   

   稲垣王子 















1 件のコメント:

chappy_chan さんのコメント...

懐かしい渡り廊下ですね。
保養所全景がこのような配置であった事を
思い出しました。

私は昭和29年11月頃から昭和32年7月までの
小学4年生の秋から中学1年の夏休み前まで
療養していました。

当時肺浸潤と云われていました。
これが本当に肺結核の初期状態だったのか
単に言い方を和らげる為だったのかも知れません。

それでも比較的症状は軽くて、熱も上がらず
咳や血痰も出なかったので、普通の暮らしを
していました。

2年半と云う比較的長い保養所生活でしたが
CクラスからB,Aクラスと順調にランクが上がって
1寮から2寮、3寮へと移って行きました。
今思うと病気の事などすっかり忘れていて
とても楽しかった時期だったと思います。