2013年7月7日日曜日

昭和57年12月9日の神戸新聞より

 今年の3月に「集合写真 その2」と題しまして、昭和47、48年に西戸田に在籍されていた植杉さんが、当時の集合写真を紹介してくださいました。その植杉さんから、神戸中央図書館に「さよなら西戸田」という、少年保養所閉鎖当時の資料があるので、一度調べてきますとメールをいただいていたのですが、今日、石田勝彦さん(植杉さんと同時期に西戸田に在籍されていた方)と出かけてくださったようです。以下、植杉さんからの報告の一部を掲載させていただきます。

 本の内容は、昭和58年の閉校時に在籍していた生徒の方々の西戸田への思いの文集と後半は、神戸市の閉鎖決定に対する、保護者、教育関係者、関係機関等の存続への願い、及び施設の拡充などに対する陳情書、協議等の経過書類や新聞の記事が記載されていました。



(新聞に記載されている内容は、下記のとおりです。)

 治療しながら学べる病虚弱児施設として知られる神戸市立少年保養所と西戸田養護学校(同市西区平野町西戸田)が閉鎖、廃校の危機にさらされている。入所患者の減少と、年間2億円を超す赤字を理由に、神戸市が今年度末で廃止の方針を固めたもので、患者の父母や教職員らは「患者の減少は医療体制が不十分なのが原因。病虚弱児はむしろ増えている」として、存続運動を始めた。

 少年保養所と同校は、昭和25年に開設され、6万3千平方メートルの敷地に、管理(診療)棟、校舎、プールなどがある。当初は就学可能な小、中学生の結核患者に限っていたが、昭和42年からは対象者を広げ、ぜんそく、腎炎、肥満、自律神経失調、虚弱体質児を受け入れてきた。
 しかし、結核患者の減少に伴い、入所者も少なくなり、36年の135人をピークに、40年88人、50年54人、56年24人となり、現在ではわずか19人に。
 一方、スタッフは保養所が医師3人、看護婦14人、調理師6人など39人。学校は校長以下20人。保養所関係だけで年間2億円の赤字がでており、施設も老朽化。宮崎市長の”行革諮問”機関である神戸市行政改善検討委が、56年末に「廃止・機能転換を検討すべき施設」にあげた。
 このため同市は、事業内容などを再点検、55年9月には、この種の施設を発展強化させた「後方病院」構想をいったん示したものの、その後「県や国の行政分担」として構想を白紙化、同保養所と学校を廃止する方針を決めた。
 これに対し、父母、保養所職員、教職員は猛反対。「病気の子供は勉強するなというのですか」(父母)、「施設の実態や社会的役割を知らない机上の廃止論」(保養所職員)と訴えている。
 長年、病虚弱児教育に携わってきた先生たちは、「子供が少なくなったのは、医療施設の拡充が遅れたためで、入所対象児はむしろ増えている。病弱が理由の長欠児は、百人を超している。」と話しており、市議会への陳情、行政当局への申し入れを準備する一方、25日には「閉鎖問題を考える会」を開き、広く療養と教育のあり方を問う。
 岡田力也神戸市病院管理センター長の話 金銭面の負担に加え、医師の確保が難しく、療養に欠かせない共同生活の最小単位も崩れた。現在の入院患者の6割は、年度内に退院できる見込みだ。三田市の国、県の施設も利用できる。実情を理解してほしい。

 植杉さん、石田さん、猛暑のなか、ありがとうございました。興味深く読ませていただきました。

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