2020年7月1日水曜日

昭和32年 保養所百景 1寮(1)

 今日から「昭和32年 保養所百景」と題し、私がお世話になっていた昭和32年を中心に、神戸市立西戸田少年保養所の当時の建物や行事などを紹介して行きたいと思います。先ず第1回目は1寮です。

 昭和32年3月13日、小学4年生の学年末に少年保養所に入所しました。入った病棟は、保養所の一番奥にあった1寮でした。2階の西端、外階段横の部屋でした。ちなみに、1階は女子部屋でした。

 

   


 1寮前にて 昭和33年3月 西戸田小学校5年山根学級
        1寮

  この1寮は、戦前の川崎航空機の結核療養所時代からの建物であり、かなり老朽化が進んでおりました。昭和33年に第1病棟東寮、昭和34年に第1病棟西寮として、2階建ての1寮は東西に分かれて、平屋の病棟として改築されました。


ご連絡は下記まで
  o.shi.i1946@gmail.com   
   稲垣王子




2 件のコメント:

chappy_chan さんのコメント...

1寮に居た時はあまり良い思い出は
ありませんでした。
1寮のイメージや部屋割りがこのような
形であった事を思い出しました。

入所当時、出掛ける時からいやーな重っ苦しい
気持ちを抱えていました。
それが母親が帰った途端、寂しさや不安が
一気に押し寄せてきて、泣き出してしまいました。
誰かが「泣くな!」と言っているのが
聞こえたのですが、布団に突っ伏して
泣きじゃくっていました。

暫くして夜になったらまた泣こうと思って
漸く泣き止みました。それから夜までどう
過ごしたのか覚えていません。
夜になっても布団の中で必死に声をかみ殺して
泣いていました。

その後、私よりも年下の子や同学年の子たちが
入所して来たのですか、その子たちがみんな
平気な顔をしていたので、私は自分が
恥ずかしくなりました。
私はいかに自分が甘えたに育てられてきたのかと
思って情けなくなりました。

そんな状態だったので、学校の女の子から
手紙を貰ったのですが、余りにも悲嘆な気持ちを
抱えていたので返事も出せませんでした。

誠にお恥ずかしい話を述べましたが、
稲垣さんは入所当時はどのよう風だったのですか?

Inagaki Oshi さんのコメント...

2018年頃までは、私を含め沢山の入所者の、100件近い
「思い出」話を投稿して頂いておりました。しかしながら、
西戸田同窓会の終了後、ブログ「西戸田の四季」も終了するため、
これらの「思い出話」を削除させて頂き、現在、写真や記録だけの
掲載を継続させて頂いおります。従って、立場上、私の私的な
「思い出」話は、出来るだけ控えたいと思っております。
申し訳ありません。 稲垣